井上靖の小説『星と祭』は昭和46年5月11日から翌47年4月10日まで朝日新聞に連載された。これによって、渡岸寺の十一面観音をはじめとする湖北の観音像は全国的に注目されることとなる。井上はこの小説の執筆以降、数年にわたり近しい人々に、観光大使のごとく振る舞い、この地の観音信仰を紹介した。
少女みはるは終戦後の混乱期に分かれた先妻との間にできた子である。離婚して母の下で育てられた高校生のみはるが、大学生の青年と琵琶湖でボート転覆という思いがけない事件で短い一生を終える。主人公は少女の父の架山である。架山には青年の父親の大三浦は愚鈍に見える。こんな人物の息子と一緒に死んだと思うと救われない気持ちになる。青年の友人から聞くかぎり、義理でも優秀な大学生とは思えない。二人の遺体が水没したままあがらない。死亡ではなく行方不明の状態が続くことになる。
葬儀もできない、戸籍からも抜けないその後の7年間、架山は湖という場所をことごとく避ける日々をすごす。とともに、亡き娘と対話する時間が生まれる。もちろん内語ではあるのだが、仕事上のことでも対話によって決断するまでになる。架山は、生と死の間にある殯(もがり)の時期にあるみはるへの挽歌として会話をしていた。
7年後、架山は琵琶湖を訪ねることにした。そこで、大三浦と再会する。大三浦は琵琶湖畔の秘仏である十一面観音を拝むことで息子の死を受け止めようとしている。信仰ではなく、湖中に眠っている二人を守ってくれている十一面観音に礼を言っているという大三浦に、架山は同調しない。二人を一緒に考えたくないのだった。その気持ちが、大三浦に誘われて十一面観音巡りを始めるなかで静められていく。
エベレストへの観月旅行に行った架山は、そこで「永劫」という思いを抱く。「みはると青年の死の真相が何であるか知るべくもないが、永劫の時間の中に置いてみると、そうしたことは意味を失い、そこにはただ若い男女の悲しい死があるだけであった」という境地に行きつくことになる。
大三浦とともに春の満月の下、琵琶湖に船を浮かべて二人の供養をする架山は、長かった殯の期間を終わらせることになる。「燦として列星の如し。――そんな言葉を今になって架山は思い出していた。つらなる星のように、十一面観音は湖を取り巻いて置かれ、一人の若者と一人の少女の霊は祀られたのである。」
水死ではあるものの遺体が見つからない、七年たったから死亡届を出す。という法的な処置があっても、人の気持ちが片づくわけではない。主人公架山と青年の父大三浦の七年間は全く違った時間ではあったが、十一面観音を巡るなか人々の信仰の在り様に出合い、架山は愚鈍に見えた大三浦と連なる無名の人々の営みのなかに、素朴や謙譲を見いだした。
『過ぎ去りし日々』には、「最愛の子供を亡くした親たちの、その悲しみへの対い方は、私には二つあるように見えた。一つは、運命だという考え方で自分を納得させることであり、もう一つは諦め切れないで、いつまでも悲しみの中に自分を置き、すべてを歳月に任せるという身の処し方である。」運命だと感じることによって自分を納得する諦めの道をとろうとする架山と、ひたすら仏にすがり、死者の霊を祀ることで、魂を鎮めようとする大三浦。「二人を、その大きい悲しみから少しでも立ちなおさせるには、これしかないと考えたのである。」とあります。
この小説は、予期せぬ子の死を弔うまでの物語であり、信仰の在り様を問うものでもある。
井上靖は湖北の人々に、観音様は修業の身なのだから、秘仏にしないで衆生の悩みを聞いていただくようにしたらいい、とよく話していたという。